2013年8月アーカイブ

夏の終わり

夏の終わり

多摩川や 夏の終わりの 夕日かな

八月も末日になるといよいよ夏も終わりという気分になる。

今日の気温は猛暑日に逆戻りしたかのようだが、

朝夕の涼しさは確実に季節の移りかわりを告げている。

夕方、多摩川土手を散歩していると、夕日が川面を揺らし、

川風が秋の匂いを運んできた。



深淵

深淵

餌もとめ 深淵覗く 小鷺かな

多摩川には小鷺が多く生息している。

小鷺は、川の水が淀んでいる場所や深い淵から、

小魚を狙ってじっと水の中を見つめている。

生きるために集中し凝然として立ちつくしている。

そしてその姿はある意味哲学的ですらある。

「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」



猫じゃらし

猫じゃらし

盆すぎて 風に吹かれる 猫じゃらし

猫じゃらしが風に吹かれておおげさに揺れている。

残暑がとても厳しい日々ではあるが、

お盆をすぎると猫じゃらしやらすすきやらが目にとまりはじめ、

朝晩の涼しさとともにどんどん秋めいてくる。

残暑の中に秋を見つけるのは楽しいものだ。



あさがお

あさがお

あさがおが 緑の壁を はいあがる

明治通りと諏訪通りの交差点に新宿北郵便局がある。

その郵便局の明治通りをはさんで反対側に、中学校がある。

中学校の校舎の壁にはあさがおがどんどんつるを伸ばし、

壁をはいあがりながら花を咲かせている。

まるで緑の壁がどんどんはいあがり、一面緑にしようとしているかのようだ。

アイビーもそうだが、あさがおも、つる性の植物は強い。



萩(2013年)

萩

萩咲いて 思いを馳せる 秋の月

異常な暑さが続いているが、さすがにお盆を過ぎると、

日陰にも、夕方の風にも、かすかに秋がまじりはじめている。

近くの家の庭ではじめてこの花を見たとき、

萩の花と勘違いをして、思わずこの俳句ができたが、

実際にはシモツケの花であった。

花の名前は間違っているが、

どちらにしても秋の到来が待ち遠しい季節ではある。



ペチュニア

ペチュニア

ペチュニアを 眺めてばかりの 狸かな

玄関につづく階段のそばに、きれいなペチュニアが植えてある家があった。

階段には狸の置物が置かれていて、終日ペチュニアを眺めていた。

ペチュニアは確かにきれいで、かわいいが、

一日中見つづけていられるものではない。

しかし、この狸は置物なので、平気で見つづけていられる。



新盆

新盆

新盆や しみじみ墓を 洗いたり

お墓まいりをしてきた。

この墓は何事にも準備の良かった父が生前購入したもので、

今では父と母が喧嘩もせず仲良く眠っている。

まだ暑くならない朝のうちに、お墓に水をかけ、汚れを洗い流していると、

何だか父や母の身体をさすっているような気分になる。

父や母は、いったいどこにいるのだろう。



オシロイバナ

オシロイバナ

石垣に 寄りそい涼む オシロイバナ

八月にはいってからの暑さはほんとうに尋常ではない。

夜になっても温度が下がらず、とても冷房なしでは過せない。

ひまわりでさえ暑さに耐えきれず、枯れてしまうなかで、

日陰になりやすい石垣のそばで、かしこく涼むオシロイバナを見つけた。

花びらを閉じて省エネモードで涼んでいた。



夏の午後

夏の午後

路地燃える プール帰りの 夏の午後

暦の上では今日は立秋であるが、この頃の暑さはとび抜けている。

これからも当分の間はこの暑さが続くのだろう。

子供達は夏休みで毎日プールに通っているかもしれないが、

さすがにプールで冷えた体も、この暑い路地を通り抜けると、

再び汗みずくになるに違いない。

夏の午後のすいかと午睡ひるねがなつかしい。



あさがお(2013年8月5日)

あさがお

あさがおや ひさしを借りて 華となる

散歩していて、見なれない花が咲いているのに気づいた。

よく見るとあさがおが、他の木の幹や枝につるを巻きつけて、

まるでその木の花のように咲いているではないか。

つる性の植物は、どこにでも巻きついて自分の居場所を確保できる。

そして、その場で主役になってしまう。

夏の朝の発見だった。



もどり梅雨

もどり梅雨

ひまわりも 背中を向ける もどり梅雨

今年は去年以上に異常気象がすすんでいるように見える。

梅雨入り後に雨は殆んど降らず、梅雨が明けたかと思ったら、

また梅雨前線がもどってきて、雨の日が続く。

西日本は酷暑がおさまらず、東日本は湿度の高さに悩まされる。

そしてゲリラ豪雨の降雨量はすさまじい。

いったい日本の夏はどうなってしまうのだろう。